ここに紹介する写真は、故秋山徳三郎氏(1891-1968)が満洲時代に撮りまとめた満洲国建国初期における道路工事関連の写真コレクションの一部である。
秋山氏は兵庫県柏原中学から陸軍士官学校、東京帝国大学工学部土木工学科を経て陸軍の技術将校としては最高の地位といえる中将にまで登り詰めた方であるが、戦後は一転、民間建設会社を起こし戦後復興を一民間人として下から支えた人物である。
その生涯は、遠藤 貞一編『秋山徳三郎君の思い出』(新光道路(株)発行(非売品)、1968)や石井 正紀氏の『技術中将の日米戦争―陸軍の俊才テクノクラート秋山徳三郎 』(光人社NF文庫、光人社、2006)に詳しい。
秋山氏は昭和8年1月に関東軍特務部員(満洲国国道局顧問)として赴任、1年半にわたり建国まもない満洲国のインフラ整備のための関東軍と政府の橋渡し役を務めた。この間の事情を本間徳雄氏は、追悼文で「軍が秋山君をこの特務部参謀に任命したのは名人事で氏独特の笑顔で一言居士の多い顧問団を丸く治めて居った様であった」と述べている。詳細はこちら(注1)。
また、秋山氏自身も『道路建設』昭和30年10月号に寄稿した「回想断片」の末尾で以下のように述べている。
「私は満洲国開発当時技術者の地位に就いては、英国に学ぶ点があると思い、内地より満洲に進出せられた技術者に就いては出来る限り優遇すべきことを関東軍司令官に具申し、当時満洲国国道局長に就任せられた直木倫太郎博士は満洲国の土と化せられましたが、生前日本では例を見ない参議(日本の当時の枢密顧問官)に迄任せられました。我が国では技術者はややもすれば下積みにせられ易いですが是等の点に就いては、技術者として大いに反省し又大いに発奮すべきであると存する次第であります。」(前出『秋山徳三郎君の思い出』p.12から引用)
当サイトはその秋山氏の満洲時代のアルバム3冊210枚を全て順に掲載し、キャプションも原文をそのまま付したものである。
なお掲載にあたっては秋山氏の4女にあたる秋山桃代様から遺品のご寄贈を頂いた。また石井 正紀氏には仲介の労を取って頂いた。紙面を借りて御礼を申し上げる。
石井氏は前掲書『技術中将の日米戦争―陸軍の俊才テクノクラート秋山徳三郎』の中で、秋山氏の満洲時代の業績として、1.都市計画、2.人材の結集、3.機械化施工、4.要塞建設調査の4点をあげている。詳細はこちら(注2)。また石井氏のwebサイトはこちら
機械化施工に関しては、『榊谷仙次郎日記』の昭和8(1933)年8月29日に「新京−吉林間の建設機械の説明を受けた」との興味深い記述がある。以下の写真との関連性があると思われる。(写真1、2、3、4)日記の詳細はこちら(注3)。