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3.トンネル折渡(おりわたり)隧道

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『羽越線折渡隧道工事概要』
 鉄道省秋田建設事務所 大正15(1926)年7月刊(長谷川章平氏寄贈)

■第1章 総説 pp.5-11(注:句読点を適宜加筆、難読文字は適宜置換) (PDF)

 而して此等の状況に鑑みるに未掘削区間は全体を通じて略同質の軟性泥岩頁(けつ)岩の一種にして、掘削に伴い地圧の平衡を失い著しく膨張する特性の地質なるべく、現在設計並に施工法にては到底工事の完成を期し難きを認めたるにより、大正八年八月三十一日、折渡隧道工事を請負工事より分離して解約をなし、普通工法を放棄し、これより先き坑内地質不良となるや、予め総裁官房研究所に設計を依頼しおきたる盾構を以て採掘並に疊築工を施工することに決し、之が準備に着手したり。先ず秋田口に於ては掘削並に疊築を中止したるが故に、覆工未成区間の土岩圧出を防止する為め、覆工の終點岩谷坑門より一千百二十二呎の起點に正面土留工を施し、岩谷に於ても覆工の終點岩谷口坑門起點一千五百十八呎の地點に於て仮締切をなし、崩壊土岩の逸出を防禦し尚盾構を坑内にて組立つる準備の為め、大正八年十月、岩谷口坑門起點一千五百十八呎より一千五百四十二呎に至る二十四呎間に、直径二十六呎二吋、厚さ三呎断面円形の所謂盾構組立隧道の起工をなしたり。此の箇所は前述せる如く地質軟弱にして偏圧有り且路盤の膨張隆起の為め支保工倒潰し、開削部閉塞したる場所なりしが故に、掘削に當りては埋没せる支保材の切断撤去及湧水に阻害せられ、工事は遅々として進行せず、之れが為めに完成に八ヶ月を要したり(盾構組立隧道の設計施工方法順序等は後章にて述べん)。而して先に総裁官房研究所にて設計し、東京横河橋梁製作所に製作方を請負はしめたる盾構は、大正八年十月八日其の製作を了し解體の儘順次秋田に送付し来りたるが、重量大にして輸送困難なるを以て、船にて雄物川を溯航し、秋田県由利郡大正寺村新波に送り、これより大正八年十二月より翌年一月の雪期を利用し、橇を以て刈和野街道を岩谷村停車材料置き場に運搬し、更に隧道口材料置き場に運びたり。

 而して盾構は特殊の形状を有し且つ狭隘なる坑内に於て組立を施工せざるべからざるにより、同年四月坑内に於けると同じ状態に坑外にて仮組立てをなし、次て取解き周輪を八個に分割綴釘することとなし坑内に於ける組立施工に便ならしめたり。

 而して坑外における部分綴釘終りたる後ち、先に設けたる盾構組立隧道内に於て盾構を組立てたり。而して諸材料は順次坑内外に敷設せる軽便線により手押「トロリー」にて運搬し、各弓形を覆工内面に埋め込み置きたる釣(こて)に滑車を取り付け、手巻「ウインチ」を以て巻き上げ、「トラバーシングジャック」其他を使用して組立て綴釘を了し、次に手動扛重器三十二個を取り付け組立を了したり。

 盾構の組立綴釘を終わるや錆止「ペイント」を塗布し、次に盾構を所定の位置に整正して推進の準備をなしたり。

 大正九年九月、盾構の組立隧道に於ける推進の準備成り。旧隧道の終端と盾構後部との間に、盾構の前進に伴い一尺の松押角材を以て框工(クレードル)を組立てつつ、三十二個の十五噸揚げ手動扛重器を運転し、盾構を推進せしめ、組立隧道終端に達しては仮締切工に適當の支保工を施しつつ、徐々に之れを取り除き、盾構の先端地中に侵入するに及び周到なる注意を払い、手掘りにて前面の掘削をなしつつ推進せしめ、組立隧道の終端に到れり。而して前面の掘削に當りては地層の状況地質の柔軟又は湧水の有無により、必要に応じ適宜支保工又は山留工を施したり。

 盾構の組立隧道終端に達しては、別紙図面の如く盾構組立隧道内に盾構隧道接続部として三呎間拱架を使用し、盾構隧道の覆工をなしたり。

 盾構隧道は盾構を推進せしむるに先立ちて、手堀りにて別紙図面の如く二十四吋乃至三十吋盾構の前面を掘削し、二十吋乃至二十四吋を推進し、先ず中心水平線迄の覆工をなし、其の上に拱架を組立て上部の覆工を行い、一円周を終るものとす。而して盾構の推進たるや覆工と同時に前面の掘削に着手し、覆工と同時に之れを終り、盾構の推進を反復して工程を急ぎたり。

 最初使用したる手動扛重器は使用に際して幾多の不備なる點あるを発見し、種々之れに改造を加え使用したるが、先に設計準備したる常用毎平方吋千磅水圧扛重器、大正十年一月現場に到着したるを以て、手動扛重器の使用を中止し、新に到着したる水圧扛重器の試験並に取付け其他付属設備に着手せり。而して同年三月、発電所其他設備の完成と共に盾構の推進を再び開始し(発電所其他設備は第十四章に於て詳説すべし)、工事の進捗を計りたり。然るに又推進の際抵抗大にして水圧扛重器の働き十分ならざるに至りたるを以て、之れが手入れ改造の必要を生じ、盾構より水圧扛重器を取外し、新潟鉄鋼場及び土崎工場に順次之を送り、改造の上完成せるものより取付けをなし、六月其の完了によりて盾構の推進工程も亦稍良好なるに至れり。

 然るに大正十年十一月に至り、強大なる土圧と粘着力多き地盤に遭遇し、盾構の推進不能となり為めに盾構周囲の切拡工をなし、水圧扛重器を整正し最大の推進能力を発揮せしめ、十年十二月、漸く此所を通過したり。其後、十一年一月及び二月は推進並に覆工の工程順調の成績を示し、一日の進行三呎乃至四呎六吋に及びたり。

 然るに幾くもなく三月に至りて硬質砂岩層に遭遇し、掘削二時間を要し、予定の進行を期し難きに至りたるを以て、四月以降の掘削に削岩機を使用し、爆薬を用いたり。

 而して岩石層現出せるを以て、盾構の推進並に覆工を続行する傍ら未開削部地質調査の為め、四月中旬、岩谷口一七五〇呎付近より頂設導坑により掘削を開始し、次いで頂設導坑を中止して中央導坑を開削し、又、九月、秋田口よりも地質調査の目的によりて底設導坑を開削したり。地質調査導坑の掘削によりて覆工未成区間を検するに、地質は岩谷口に於て硬質の砂岩層より頁岩に変じ且つ土圧も比較的少く、又、秋田口に於ては軟質の頁岩並に其の間に白色の粘土層を混ずるものにして、掘削及び覆工を同時に行うに於ては、最強度の在来支保工式にて施工難からざるものと認めたるに依り、十一年十二月、盾構施工法を中止して普通工法に依るべく準備をなし、翌年二月、地質調査導坑の貫通に依り、三月、掘削切拡及び覆工に普通工法を採用せり。

© Japan Society of Civil Engineers, JSCE Library