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● 概 要 | ||
土木学会創立と古市公威 | 創立に至る過程と第1回総会会長講演について紹介しています。 | 790KB |
幼年時からエコール・ サントラルまで | 江戸から明治へと移り変わる激動の時代の中で、少年期から青年期の歩みを紹介しています。 | 651KB |
フランス留学時代 | 第一回文部省留学生としてフランスに渡った古市の学生生活について紹介しています。 | 3MB |
内務省技術者時代 | 帰国後、内務省土木局に入った古市の、初期における主な業績を紹介しています。 | 919KB |
豊平川水害防御計画 | 初期の業績のうち、札幌・豊平川の水害防御計画を、貴重な図面とともに紹介しています。 | 937KB |
古市と能 | 古市は多忙な日々を縫って「能」に深く関わっていきます。ここではその一端を紹介しています。 | 1.3MB |
帝国大学工科大学学長及び 内務省技監・土木局長時代 | 30代前半で工科大学長となり、40代前半で内務省土木技監となった古市の、教育・行政における足跡を紹介しています。 | 200KB |
河川法・砂防法の整備、 淀川改修、大阪港修築 | ここでは土木行政に関わる業績の中で、河川法・砂防法の制定、これに伴う淀川改修、大阪港修築を取り上げて紹介しています。 | 2.2MB |
横浜港・東京港と古市、 足尾鉱毒事件と古市 | ここでは土木行政に関わる業績の中で、東京港、横浜港の築港計画、及び足尾鉱毒事件を紹介しています。 | 2.6MB |
逓信次官〜総監府鉄道 管理局長時代、鉄道会議、 鉄道国有法 | 45歳で内務省土木技監、工科大学長を一旦辞した後、古市は鉄道分野に関わっていくことになりますが、ここでは鉄道作業局及び鉄道会議及び鉄道国有法の成立過程を紹介しています。 | 756KB |
京釜鉄道、東京地下鉄道 東亜鉄道研究会 | 鉄道に関わる業績のうち、ここでは京釜鉄道、東京地下鉄道また東亜鉄道研究会を通じた孫文との関わりを紹介しています。 | 3.6MB |
工学界・工業界の重鎮・ 長老時代 | 古市は土木にとどまらず、広く工学・工業分野で多くの業績を残していますが、それを年表で紹介するとともに、帝国学士院、工学会に果たした役割にも触れています。 | 930KB |
古市と万国工業会議 | 昭和4年に開催された万国工業会議に古市は会長として臨みますが、同会議の背景、経緯、古市の果たした役割、その成果について、紹介しています。 | 1.4MB |
土木学会第一回総会会長講演・全文 以下の文章は、初代会長古市公威の第一回総会における講演記録の全文を現代語に読み下したものである。原文は土木図書館ホームページの「土木デジタルアーカイブス」に掲載しているので、そちらを参照していただきたい。アドレスは以下の通り。 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/01-01.html 専門の学会において会長であることは学者の最も名誉とするところである。このたび土木学会の創立にあたり、はからずも自分がその第一回会長に当選したことは、自分にとって無上の光栄である。ここに謹んで会員諸君に感謝する。 本会規則第二十九条に会長は一月の総会に講演をなす、と規定している。演題に何の制限もないことはもちろんであるが、先例となる場合でもあるので、多少考えるところがあった。前年における土木の重要事項を報告してその批評を試みるということは、適当なる題目であろう。昨年十一月三日ロンドンの土木学会の発会において、会長は過去五十年間におけるスコットランドの工業の振興及び技術の進歩と題して、鉄道を始め港湾、水道、道路、運河について講述し、終わりに市街発展の状態を説いて結んだという。この類もまた好い題目である。しかし、自分は右の例によらず土木学会の方針について、いささか所見を述べ、諸君の考慮を煩わすこととしたい。これは今日に相応しい問題であると考える。 去年六月一日有志の発表した土木学会設立の趣意書は、諸君の熟知するところであろう。文明の進歩に伴い、専門分業いわゆるスペシャリゼーションの必要を感じるのは一般的な法則であり、土木学会もまた大体においてこの法則により生まれたるものである。ここで工学に関する学会の来歴を見ると、明治十三年工学会設立の際においては、工学に関するすべての学科をここに包容して他に専門の学会を設ける必要は感じなかった。工学専門の者が、いまだ少数であった当時においては、それは当然のことであった。我が邦の文明がいまだなお幼稚であった結果と言えよう。 右に述べるごとく本会は他の学会と同じく、専門分業の必要により設立したのであるから、今後本会々員は専門の研究に全力を傾注すべきことは勿論であるが、このことについては少々議論が存在する。専門分業の方法及び程度は場合により大いに取捨すべきものありと言うことが、それである。次に一例をあげて自分の言わんとするところを明らかにする便に供するものとしたい。 自分は仏国に留学していた。仏国の教育は大体において総括的である。いわゆるエンサイクロペディカル エデュケーションである。とりわけ自分の学んだエコール サントラルでは1829年の創立にあたりその当初において「工学は一なり。工業家たる者はその全般について知識を有せねばならぬ」と宣言し、以来この主義を守りて変わらず、機械、土木、冶金、化学の四専門を設けたが学生は一般に各学科の講義を全て聴聞しなければならず、分科により課業の差別があったのは、実験設計の類のみであった。この制度は学校創立の時代にあってはともかく、今日においては一見無理があり時勢に適さないように見える。仏国においても反対の議論は少なからず数年前に学校評議員の組織に一大改革を加えたのも、これらの点について調査するためであったようで、反対論者は幾分か期待するところがあったようだが、今日に至るもなお成案を得ていない。やはり仏国の現状における技師の位置、職務、その需要供給の情況等を考察すると容易に決し難きもののようである。同校の一教授は曰く「本校の卒業生は卒業証書とともに一束の鍵を得て、相当の地位を得るために数箇所の門扉を開き得ることを必要とする」と。この言にて大体の事情を推察することができる。そしてまた本校の卒業生を始めとして仏国において高等の工学教育を受けた者の専攻機関はどのようなものかと言うと、ソシエテ デ エンジェニユール シビルと言って、我が工学会の如く工学の各専門を網羅しているものである。 仏国の工学界の情況は右のごとく、やや時勢に遅れているような観もあるが、自分はこれがために仏国の工学が他の文明国に比して劣るところありとは思わない。この点においても仏国は文明の一等国であることは疑問の余地がない。 仏国の制度は国情の然らしむるところとして、これを尊重するものであるが、自分が例をあげたのはこれを模範とすべきという意図ではないことは言をまたない。ただ専門分業の方法及び程度において、なお講究の余地あるを証せんがためである。そして自分は極端なる専門分業には反対するものである、専門分業の文字に束縛されて萎縮してしまうことは、大いに戒めるべきことである。特に本会の方針について自分はこの説を主張する者である。 本会の会員は技師である。技手ではない。将校である。兵卒ではない。すなわち指揮者である。故に第一に指揮者であることの素養がなくてはならない。そして工学所属の各学科を比較しまた各学科の相互の関係を考えるに、指揮者を指揮する人すなわち、いわゆる将に将たる人を必要とする場合は、土木において最も多いのである。土木は概して他の学科を利用する。故に土木の技師は他の専門の技師を使用する能力を有しなければならない。且つ又、土木は機械、電気、建築と密接な関係あるのみならず、その他の学科についても、例えば特種船舶のような用具において、あるいはセメント・鋼鉄のような用材において、絶えず相互に交渉することが必要である。ここにおいて「工学は一なり。工業家たる者はその全般について知識を有していなければならない」の宣言も全く無意味ではないと言うことが出来よう。そしてまた、このように論じてくれば、工学全体を網羅し、しかも土木専門の者が会員の過半数を占めたる工学会を以って、あたかも土木の専攻機関のようにみなし、そのままの姿で歳月を送ってきたのも幾分か許すべきところがあるだろう。 故に本会の研究事項はこれを土木に限らず、工学全般に広めることが必要である。ただ本会が工学会と異なるところは、工学会の研究は各学科間において軽重がないが、本会の研究は全て土木に帰着しなければならない、即ち換言すれば本会の研究は土木を中心として八方に発展する事が必要である。この事は自分が本会のために主張するところの、専門分業の方法及び程度である。 右の主意は本会の定款においてもその一端を窺うことができる。工学所属の学会の内、土木を除きたる六学会は会員の資格をその専門の者に限っている。しかし本会の定款第四条の一号には、工学専門と掲げて土木工学専門とは言っていない。これは土木以外の専門事項を研究するために他の専門の者が本会に入会することを歓迎するためである。また他の専門の者もその専門を土木に応用する意志のある者は、本会に入会することで本会に益することになるためである。 なお本会の研究事項は工学の範囲に止まらず現に工科大学の土木工学科の課程には工学に属していない工芸経済学があり、土木行政法がある。土木専門の者は人に接すること即ち人と交渉することが最も多い。右の科目に関する研究の必要を感ずること切実なるものがある。また工科大学の課程に工業衛生学がないが、土木に関する衛生問題ははなはだ重要である。そして大学の課程にないものはますます本会の研究を要求するものである。これらは数え上げれば、なお外にどのくらいあるかわからない。 人格の高き者を得るためには総括的教育を必要とするという説は、しばしば耳にするところである。西洋においてラテン語に偉大な効果があることを認める学者が少なくないが、同様に我が邦においては漢学を以って人物を養成すべきであると説く者が多い。皆相応の理由がある。これらは本問題に直接の関係はないが、参考に値するものであると認識している。 会員諸君、願わくば、本会のために研究の範囲を縦横に拡張せられんことを。しかしてその中心に土木あることを忘れられざらんことを。 |