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土木学会江戸開府400年記念展開催に寄せて

−パネル展感想文−


パネル展では,江戸のインフラが紐解かれている 北村眞一

「ふるさと」で開かれた企画展 鈴木理生





第89回土木学会総会・特別展示会場(h15.5.30)




 パネル展では,江戸のインフラが紐解かれている

北村眞一 (山梨大学大学院医学工学総合研究部教授)


 パネル展では,江戸のインフラが紐解かれている.
 現代人の意識から失われがちな地形.名古屋,大阪と比べると圧倒的に台地と坂の町.台地を利用した上水.雨の多い都市の下水,排水.低地の埋め立てと舟運,そして河岸など江戸の個性が描かれている.
 都市建設の組織「組」と自然材料の調達は全国的で特に関東一円に及び,規模の大きさを物語る.
 四谷の町並みでは,時間軸を入れた重ね図の手法はダイナミックな場の本質を浮き彫りにする.歴史的な時代の様式の並置が都市らしさである.
 関東平野と国土と江戸の関係では,交通施設に重ねられた後背地と物資供給が表裏のテーマになる.
 展覧会は,一般向けに絵的,説明的,評価的ではなく,専門化向けに事実を提示し年表や絵図をじっくり読み解かせる意図が特徴だ.
 加えて定量的な人口,水,物資流動量のデータで意味を暗示させるとより効果的だろう.
 とまれ江戸の要点をたった12枚のパネルに,多面的に効果的に余韻を持って伝えるのは大胆な快挙である.
 観客はそこから何を読めるかが試されているようだ.


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ふるさと」で開かれた企画展

鈴木理生 (都市史研究家)


■はじめに
 土木学会の江戸開府400年記念企画展の資料集が送られてきた。
その前半のサブタイトルは「江戸はこうして造られた」、後半は「国土マネジメント」。前半のタイトルは私の著書(ちくま学芸文庫)と同じであり、また図版の幾つかも掲載されるという光栄に満ちたものであった。
 それだけではなく資料集の巻頭文に「土木学会の現在地は昭和三十二年(1957)以来の」関係にあるということが述べられているが、この付近に生まれ育った私の場合、ここは幼少年期の水辺遊び・トンボやバッタ取り・戦争ゴッコの主戦場だっただけに、濠底に誕生した土木学会の建物の印象は忘れがたいものがある。

■「土木」の見本市
 細かい年月は省略するが喰違見附(くいちがいみつけ)を谷頭(たにがしら)とする小河川の谷を利用して、江戸城西側の外濠が形成されて以来、近代になるとその濠の一部を埋め立てて甲武線(中央線)の汽車を走らせ、以下目撃した限りでは昭和になって複線の鉄道が4線化するための埋立が続き、さらにそのトンネル掘削の排出土で名橋と言われた四谷見附橋の南側のテニスコート2面を残して濠は埋め立てられた。
 そして、おそらくはテニスコートの部分の量に相当する土が旧甲州街道から土木学会に至るスロープ造りに利用されたものと考えられるが、これは小学生低学年の観察である事を断っておこう。
 なぜこんなことを覚えているかというと東京市が現在の土木学会と千代田区のグラウンドを含めた範囲を外濠公園として開園し、昭和8年(1933)に東京市民を熱狂的に踊らせた「東京音頭」の会場の一つにしている記憶があるためである。

■「土木」学の範囲
 資料後半の「国土マネジメント」という太平洋の対岸を意識した視野から、一挙に<<近過去>>の「♪チョイト東京音頭 ヨイヨイ」といった視点に縮小させたようだが、この四谷見附交差点を中心に約4世紀前の軍事施設の跡が今では地下鉄だけでも3線も集中する焦点となっている事実の根底には、多彩な土木技術の堆積があることを痛感する。
 この資料の読後感は「土木」とは原(プロト)地形の変更行為だとすれば、その変更された地形の経年変化を確認する方法、またはその技術的行為の変遷を明確化することも、また「土木」学完結(完結にルビあり)の為の重要な要素のような気がする。
 つまり「土木」学は歴史的資料の引用に留まらず、それ自体の時系列的展開の経過(プロセス)解明を速やかに実現させるべきだと考える。



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