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昭和8年頃の宮本武之輔 |
明治25(1892)年愛媛県温泉郡與居島村(現松山市由良町)に生まれ,13才のとき故郷を出,広島,大阪と居を変えた後上京し,43(1910)年東京の錦城中学を卒業,第一高等学校を経て,大正6(1917)年東京大学土木工学科を首席優等で卒業し,内務省に入省した.
内務省入省後,利根川第二期改修事務所,荒川改修事務所に勤務の後,大正12(1923)年から1年半の欧米視察,本省,信濃川補修事務所主任等を歴任した.
その後,再び本省勤務の後,昭和13(1938)年興亜院創設と同時にその技術部の部長となった.さらに昭和16(1941)年には企画院次長に任ぜられ,名実ともに最高の技術行政官となった.内務省において,宮本はまず利根川,荒川の河川改修に従事した.特に,日本の代表的放水路である荒川放水路工事には,荒川下流部の工事の現場の直接の責任者として今日われわれの見る荒川の姿となったその改修に大きな貢献をした.
昭和2(1927)年,信濃川の大河津自在堰の陥没という非常事態にその経験と卓越した技術をかわれてその復旧の責任者に選ばれ,心血を注いでこれを完成させた.
本省においては第二技術課に籍を置き,全国の災害復旧や補助河川改修の指導にあたり,昭和13(1938)年の神戸水害等の復旧にも卓越した技量を発揮した.
このように忙しい仕事の合い間をみて宮本は日ごろから研鑽を積み,昭和3(1928)年にコンクリートに関する研究で工学博士を与えられ,11(1936)年には,いままでの,河川改修等の経験と研究の成果を『治水工学』として世に発表した.この名著は,治水工学を体系的にまとめた戦前における斯界の決定版であり,河川工学の発展に多大の貢献をした.
さらに,宮本は,現職兼務のまま東京大学教授(河川工学担当)として,学生の指導にもあたった.
一方,宮本は,関係各省の青年技術者を集め,大正9(1920)年「日本工人倶楽部」を発足させるなど,技術者の地位向上のための運動を展開した.昭和17(1942)年,後に「科学技術庁」として再出発した「技術院」の誕生には,宮本の力が大きかった.このように,河川行政の進展,河川工学の発展,技術者の地位向上に偉大な功績を残した宮本は,昭和16(1941年12月24日,急性肺炎のため満49才の若さでこの世を去った.
(『土木と200人』土木学会 1984 から引用。執筆担当:稲田 裕)
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●著書
分類
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書名
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発行所
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発行年,頁
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容量
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リンク
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著者 |
治水工学
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修教社書院
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1936(S11)
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計6.5MB
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●論文・講演
掲載誌
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タイトル
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巻号・年月
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ページ
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容量
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リンク
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土木学会誌
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擁壁の図式設計法
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4-3,1918(T7)-6
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655-696
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1MB
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土木学会誌
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都市計画に就て
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6-2,1920(T9)-4
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401-404
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122KB
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土木学会誌
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閘門の給排水設備
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6-6,1920(T9)-12
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1149-1173
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723KB
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土木学会誌
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討議 江戸川改修工事報告
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6-6,1920(T9)-12
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1189-1191
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90KB
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土木学会誌
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小野川水門跳開橋設計報告
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7-1,1921(T10)-2
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93-108
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560KB
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土木学会誌
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討議 閘門の給排水設備
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7-4,1921(T10)-8
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665-667
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151KB
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土木学会誌
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討議 軟弱なる地盤に建設せられたる橋脚橋台の構造と竣成後25年間の経過に就て
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7-4,1921(T10)-8
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703-705
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114KB
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土木学会誌
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小名木川閘門工事計画概要
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7-6,1921(T10)-12
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1125-1180
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3MB
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土木学会誌
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討議 小名木川閘門工事計画概要
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8-4,1922(T11)-8
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861-863
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84KB
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土木学会誌
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■(ちゅう)力論(前編)
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11-4,1925(T14)-8
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661-845
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5MB
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土木学会誌
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■(ちゅう)力論(後編)
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11-6,1925(T14)-12
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1273-1420
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6MB
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土木学会誌
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Verdrehungsversuche mit Unbewehrten und Bewehrten Betonkorpern(ドイツ語)
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13-1,1927(S2)-2
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89-140
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3MB
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土木学会誌
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討議 再び新旧コンクリートの接合に就て
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16-7,1930(S5)-7
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477-479
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115KB
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土木学会誌
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矩形函内の液体荷重がその安定に及ぼす影響
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17-1,1931(S6)-1
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9-27
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802KB
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土木学会誌
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信濃川補修工事概要(宮本 武之輔, 大塩 政治郎, 後藤 憲一)
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18-6,1932(S7)-6
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555-574
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2MB
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土木学会誌
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鬼怒川堰堤問題の真相
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19-8,1933(S8)-8
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615-625
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886KB
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土木学会誌
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討議 捩モーメントを受ける鉄筋コンクリート円形断面部材の解法に就て
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19-8,1933(S8)-8
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665-667
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106KB
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土木学会誌
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講演 東洋工業会議の感想 (松永 工,加賀山 学,山田 隆二,吉田 永助)
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22-1,1936(S11)-1
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1-17
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970KB
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土木学会誌
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(読者の窓) 土木省設置問題管見
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22-10,1936(S11)-10
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1019-1020
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106KB
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土木学会誌
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(読者の窓 ) 東亜民族の技術的提携
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22-11,1936(S11)-11
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1123-1123
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49KB
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土木学会誌
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会員の頁 技術家重用論
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24-4,1936(S13)-4
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427-428
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121KB
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土木学会誌
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講演 支那開発と技術
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24-7,1936(S13)-7
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711-713
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174KB
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水利と土木
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信濃川大河津自在堰の 破壊と補修工事に就て
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02-01,1929(S4)-1
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67-75
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472KB
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水利と土木
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信濃川大河津自在堰の 破壊と補修工事に就て(二)
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02-02,1929(S4)-2
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63-72
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595KB
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水利と土木
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信濃川大河津自在堰の 破壊と補修工事に就て(三)
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02-03,1929(S4)-3
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55-60
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367KB
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水利と土木
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信濃川大河津自在堰の 破壊と補修工事に就て(四)
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02-04,1929(S4)-4
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47-51
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279KB
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