古市公威が寄贈を受けた一連の写真のなかに、撮影場所と撮影年月日、撮影者等を特定出来ない5枚の写真がある。破堤を伴う水害状況を撮影した113号から117号迄の写真である。5枚の写真はほぼ同一の表装からなり、うち3枚は同一筆跡の裏書きが有るので、これらは5枚一組の写真であると判断出来る。以下、各写真を分析の上、順次、上流側から見ていく。
113号は水害後の河道の状況である。河水は減水して写真左から右に流れて、写真中央右端の一部は浸水している状況が見える。これらの状況から、撮影者は水害後、右岸堤に立って左岸側の浸水地域から上流方向を写したことが判る。また手前には穂を結んだ草が残って繁茂しているので、洪水は左岸側へ卓越して流下したと考えられる。
114号は、上流側破堤場所(西端)である。写真裏書きには「西端切処及び堤腹欠壊ノ懸」と有り、堤高6〜7m、敷幅15m内外の堤防が鋭利に切り取られて決壊し、堤内(写真右側)に洪水が切れ込んだ状況を捉えている。
115号は写真中央左右に寸断された堤防を写し出しているが、残念ながら不鮮明である。116号は破堤地点の下流側全景で、117号は、破堤地点の下流端(東端)を近接して撮影したものである。写真奥にある家屋は、自然堤防等の微高地上に立地したものと考えられ、このため浸水を免れたと見られる。また以上の3枚の写真に点在する堤防高は概して低いので、洪水はかかる堤防天端を崩しながら越水して寸断したと考える。なお、116号で手前に写る線状模様は何を意味するかは不明である。
以上、5枚の写真は、一部不明なところが有るけれども、水害直後で危険な破堤地点を船上等から果敢に撮影した記録写真であった。そこでそれらの写真の撮影場所や撮影年月日の特定を試みた。まず、上流側破堤場所は114号の写真裏書きで「西端」、下流側破堤場所は117号の裏書きで「東端」と有るので、これから、かかる川は東流する河川であることが判る。
(岩屋 隆夫)
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14−1:水害後の河道の状況
14−2:上流側破堤場所(西端)
14−3:寸断された堤防
14−4:破壕地点の下流側全景
14−5:破堤地点の下流端(東端)
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