広島市は、明治27年4月、内務省雇衛生顧問バルトンに実地調査と計画案作成を依頼した。明治28年7月、市議会の議決を得てバルトン案に基づき工費95万円で水道建設を行うため工費の2/3の国庫補助を仰いだ。しかし、日清戦争勃発により、広島が兵站拠点となると、明治28年、勅令第157号臨時広島軍用水道敷設管制により国営工事で広島に上水道を建設することとなった。明治29年5月起工、31年8月竣工。工事科長として吉村長策工学博士が赴任している。水源は太田川表流水で安芸郡牛田町字神田太田川左岸に取水口を設けている。取水口は河流に面し2個の石造穹窿を造り、前面に金網を覆い塵芥の流水を防ぐ18インチ鉄管2條を敷設してポンプ井に通じている。(『中島工学博士記念 日本水道史』)。市水道は内務・陸軍両大臣の特許によりこの軍要水道に接続敷設している。
(神吉 和夫)
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13−1:広島軍用水道取水場正面真影
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