- 古市公威内務技監の明治の工事写真に含まれる港湾事業は函館港改良工事(後に第1期工事という)、宇品港災害復旧工事および長崎港第2期改良工事である。
- 明治年間に着工した主要な港湾工事は表−1の通り(1)である。
- 函館港(2)(3)
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この写真は明治29〜33年の間に広井勇所長のもとで進められた函館港改良工事の写真である
防波堤240尺 防砂堤1,500尺 石堤3,238尺 浚渫72,300立坪(水深26尺) 用地造成44,500坪(うち埋立32,900坪、旧砲台地11,600坪)
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(2) | 図−1 平面図、石堤および防波堤断面図 |
(3) | 図−2 旧砲台のブロックヤードと台船への積み込み桟橋 旧砲台は安政2〜5年(1855年〜58年)に建設された |
(4) | 浮起重機、グラブ浚渫船(イギリスから輸入)、底開土運船、トロッコの活用 |
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明治初期のコンクリートブロックの製作について
イ. | 図−3 パーマーの横浜港防波堤 明治22〜29年 クラックが発生した(4) |
ロ. | 広井勇は函館でコンクリートの試験を開始している(2) |
ハ. | 広井勇が次いで手がけた小樽港防波堤工事において(明治30〜41年)コンクリートに火山灰を加える等配合を検討するとともに100年分のテストピースの作成した(5)
砕波圧を1.5Hとする波圧公式を作った
図−4 小樽港のゴライアス(5) |
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- 宇品港(昭和7年より広島港と称す)
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この写真は、明治33年8月19日の台風に伴う高潮および激浪により宇品港の護岸が延長55間決壊したため急遽復旧の必要が生じたものである。
長さ4〜7間の杭を1間に2〜3本、2列に打ち込む。布木および助木を緊着する。その間に12貫の砂土俵、20〜50貫の粘土俵を詰める。頂幅を3間としその両羽口は土俵と土砂で固める。杭打ちには30〜60貫のモンキーを使う等により進めたが難工事のため順次工法を変更した。
9月1日には合計2,300人を動員し、「鐘太鼓を連打して労役を鼓舞した」とある。9月5日に潮止工事を終わり知事賞を賜う。 |
(2) |
これに先立ち明治17〜22年の間に、県令千田貞暁の尽力で、地方費により宇品港の改良事業が実施された(6)
これによって宇品島は陸続きとなり土地628,000坪が造成された。
広島港と称されたのは昭和7年である。 |
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- 長崎港(7)
(1) |
この写真は明治30〜38年の間に行われた第2期長崎港改良工事の写真である。
浚渫 最干潮面以下最深30尺、土量485.815立坪
埋立 最満潮面上2尺までは浚渫土砂、それ以上は陸上掘削土
面積 197.640面坪
その他 運河、橋梁、桟橋、波止、堰堤、
なお、明治15〜22年の間に第1期改良工事が実施された |
(2) |
この写真の中にポンプ浚渫船と配砂管が写っている。
我が国の浚渫船はバケット船は慶応4年オランダから、グラブ船は明治4年にイギリスから、ポンプ船は明治19年にオランダから輸入された。 |
(3) |
この工事の護岸断面は図−5のように杭を打ちコンクリートブロックを置いてその上に護岸を築くものであったが屡々円弧滑りを生じ、苦労した模様である。
なお品川台場(嘉永6年1853年の石垣基礎の図面を図−6に示す(8) |
- 古市技監の関与
(1) | 函館港の改良計画について明治27年11月現地調査(2) |
(2) | 長崎港 明治28年6月12日現地調査(7) |
- 明治の代表的工法
(1) | 明治の初めに防波堤、防砂堤の基礎としての粗朶沈床がオランダ技師によって伝えられた。図−7は野蒜港の突堤の断面である(明治11〜16年)(1) |
(2) | コンクリートブロックを用いる工法は広井勇によって確立された |
(3) | 鉄筋コンクリートケーソンの製作は明治42年の神戸港のL型浮きドックに始まり、45年の小樽港の斜路式ヤード、大正15年の横浜港のドライドックへと発展し普及する。
ケーソンは防波堤および岸壁の基本的構造材である |
(4) |
明治9年にわが国で初めてのスクリューパイルの鉄桟橋が神戸港で完成した
この桟橋は長さ137米であってイギリスから輸入されたものであった
その後横浜港、大阪港、敦賀港、名古屋港、釜山港でも建設されたが、大正12年の関東大震災によって横浜港のスクリューパイルによる大桟橋が破滅的な被害を受け、以後は使われなくなった(9)
(小野寺 駿一)
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- 参考文献
(1) | 土木技術の発展と社会資本に関する研究 土木学会 (総合研究開発機構よりの委託研究) 昭和60年 |
(2) | 函館港改良工事報文 北海道庁函館支庁(広井勇)明治32年4月 |
(3) | 日本築港史 広井勇 丸善株式会社 |
(4) | 横浜築港誌 臨時横浜築港局 明治29年 |
(5) | 小樽港改良工事報文 北海道庁小樽支庁(広井勇)明治40年 |
(6) | 広島湾発達史 長野正孝 中央書店 昭和57年4月 |
(7) | 長崎港史(原稿)長崎県港湾課において作成中 |
(8) | 品川台場の保護とその利用に関する調査委託報告書(その3) 土木学会
(東京都南部公園緑地事務所により委託調査) 平成4年3月 |
(9) | 或るスクリューパイルシューの歴史について 小野寺駿一 第8回日本土木史
研究発表会論文集 土木学会 昭和63年6月 |
注: |
本解説文は、土木学会第55回(平成12年)年次学術講演会研究討論会資料として
「明治の港湾建設−函館、宇品、長崎を例として」としてまとめられた文であるが、
タイトルは「明治の港湾建設−函館港」とさせていただいた。
また、文中の「表」と「図」は割愛させていただきました。 |
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5−1:函館港―旧砲台と埋立護岸工事の遠景
5−2:函館港―旧砲台内のブロック製造工場
5−3:函館港―軌道起重機
5−4:函館港―橋上に設置せる起重機
5−5:函館港―山背町護岸
5−6:函館港―山背泊船入場付近
5−7:函館港―山背泊船入場と埋立工事
5−8:函館港―浮起重機によるブロックの据付
5−9:函館港―完成間近の山背泊船入場
5−10:函館港―浚渫土砂による埋立と旧砲台 砂による埋立
5−11:函館港―完成した山背泊船入場
5−12:函館港―埋立地東側護岸工事と浚渫と埋立工事
5−13:函館港―浚渫工事の位置
5−14:函館港―浚渫工事
5−15:函館港―桟橋を架設して施工中の砂防堤を北東から見る(海岸町砂防堤)
5−16:函館港―完成した砂防堤先端を南側から見る
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