掲載雑誌(和):
日本土木史研究発表会論文集
Vol:
7巻
年:
1987年
頁:
41-48頁
著者(和):
鈴木 恒夫
タイトル(和):
積極と緊縮 震災景気から金融恐慌に至る時代の土木事業
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抄録(和):
土木行政制度は 明治末期に形成されたものが 継続して戦時下迄つづく。しかし この間に 第一次大戦後の経済後退後 関東大震災後に各々行政整理が行われ 行政機関の縮小が行われる。社会的には在来の藩閥内閣に代わって 政党政権の続いた時代であり 第一次大戦時の好況をうけて 政友会の積極政策 又は民政党の緊縮財政と呼・される政党が交互するが 産業 教育の拡充 鉄道敷設 河川改修事業が政策目標としてとりあげらりる。この時整備された法制度によって 事業の長期計画が樹立される。大正11年 大正14年には軍縮が行われるが 大正14年度のものは軍備改編をめざすものであって 軍事費は減少させることなく 人員の減員による範囲での軍備の近代化 航空機 戦車の創設又は拡充出あったが この時に旧時軍に屈し民間事業の発展のすう勢と相まって 軍機構から 航空局(T9.8陸軍省 T13.11逓儲)馬政局(M39.7陸軍省 大正12年度廃止 業務を農林省へ移管 T14.41 畜産局) 陸地測量部研究の検潮所の中央気象台移管が行われる。現在の潮位表は昭和6年 中央気象台潮汐表として発行され 昭和17年より潮位表と呼ばれている。関東大震災の復興事業は復興景気をもたらしたが 事業費は当時の国家予算の過半に及び 且財源の多くを外債に求めた。事業費は大きな負担であって 事業財源確保のために既定事業計画のくりのべを近い復興資材機械の輸入を行った。本事業において大規模な区画整理事業 架橋事業が行われたが 綱矢板の使用 潜函工法の採用 舗装機械の使用 長大橋梁に各種型式の採用等があり 土木技術水準の向上に大きく寄与した。大震災は 大戦後世界各国が金体位制度に復帰した中で 復帰の機会を失する機会ともなった。震災事業により 日本は大戦中に得た外貨を減少せしめ 世界的に大戦後の各国の経済不振 大戦中途絶えてきたヨーロッパ諸国のアジア輸出国の進出努力により貿易収支は慢性的な赤字を続けていた。金本位を離れたまま 貿易収支・の赤字基調の円は引思惑の対象となり円安傾向が続いていた。震災発生時に震災関連区域において流通していた手形(震災手形)の手形決済がすすまず 昭和の金融恐慌の遠因となった。昭和2年 震災手形善後処理法 同補償公債法の国会審議中 3月14日銀行取付に端を発した金融恐慌は 日銀非常借出を行い借出額は3月20日より23日の間において5億円に及んだ。4月3日 鈴木商店の行き詰まり主力銀行であった台湾銀行の救済問題より 内閣辞職があり 台湾銀行休業 十五銀行の休業を生じ 4月22日 全国取引所休業 全国銀行12日臨時休業 3週間モラトリアム緊急勅令が公布され 5月9日 日本銀行特別融通および損失補償が即日公布実施される。この間日本の貿易収支 経済事情を反映して 円の対ドルレートは 大正10年より10〜20%安くなり2円10〜2円45 の間で昭和4年迄推移していた。国内的な慢性不況は 輸出不振 中国内の排日機運 銀価の下落による購買力低下と相まって 主要輸出産業の紡績 絹糸の不振 価格暴落 農産品下落となり 不況は深刻化し 失業者は増大し 経済活動は低下していった。昭和4年7月に成立した浜口内閣は国内緊縮政策による物価低落 金本位復帰による円賃安定による輸出の増進 景気立直しをはかることをめざし 昭和5年1月11日 金本位復帰を旧平価で行う。このとき世界には1929.10.24のウォール街株価暴落 不況激化が起こっていた。大正10年日本はメートル条約に調印批准し 大14年1月8日公布した。一般的には使用されていた 尺貫法 鉄道におけるフート・ポンド法は漸次使用されなくなって 例えば河川では河川台帳に関する組則で尺度をメートルとさだめる 工事年報の数字表示は大正13年よりメートル制となる(大正11年、12年は欠刊のごとくである。)国有鉄道建設規程の制定は大正10年10月14日であるが 昭和5年1月1日 鉄道省及び省線と連絡運輸を行う地方鉄道軌道において運輸営業にメートル法を使用することとした。大正8年 月6日制定の道路構造令 街路構造令は間尺表示であるが 大正15年6月の構造令に関する細則はメートル法を用いている。
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キーワード(和):
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掲載雑誌(英):
PAPERS OF THE RESEARCH MEETING ON THE CIVIL ENGINEERING HISTORY IN JAPAN
著者(英):
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タイトル(英):
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抄録(英):
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キーワード(英):
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記事区分:
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区分
委員会論文集